いざ、美味なるカニの北陸へ

by

in

北陸の蟹.jpg
北陸新幹線で東京駅に着く。
TESSEIのおばさんが、ごみ袋の口をあけて待っている。エスカレーターが工事中なので階段を降りる。
 そこで待ち構えているのは、巨大なポスターである。
 美味なる北陸…カニの脚…富山県、カニの爪…石川県、カニの甲羅…福井県、三県合同のカニ・キャンペーン、巨大なポスターが3枚続けて貼りだしてあるのでその迫力は凄い。その上、ポスターのデザインが秀逸で、黒地に赤いカニの部分が超アップで迫ってくる。北陸三県にはカニしかいないか、といいたくなるほどの強烈な主張である。
 カニをたべないおまえは日本人に非ず、すぐカニを食べに北陸へ来い、といわんばかりなのだ。
 ただちにカニを食べに行きます。許して下さい。………でも先月の千曲川氾濫で新幹線が泥水につかり、電車の数が足りない。
 戦後まもなく初めてのブルーバードで、京都まわり北陸の海岸線を走った。降りしきる雪のなかに日本海がうねり、街道筋では大きな石油缶が湯気をあげていた。三国あたりからカニの茹でたてが点々とあった。
 車を止め、かじかんだ手にカニの脚をもち、小雪とともに食べたカニの脚の美味かったこと、いまだに忘れられない。
 いつのころからか多種多彩なカニの小皿料理がもてはやされるようにらなった。
 カニ味噌、茹でカニ、焼きカニ、内子、そして大きな脚、爪を土鍋のダシにくぐらせてのしゃぶしゃぶ、カニの甘露に食欲が震える。さいごの雑炊にいたり、ああこれで今年の冬も無事過ごせたと、至福の気分に浸るのだ。
 が食の罪深いのは、カニの余韻を待たず、さて次なる「ふぐ」は何処にしようか、と食欲のスケジュールを考えていることだ。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ