新聞をひらく度に絶望的な気分になる。
こんなに情けない人々に、国の運命をゆだねていたという事実に、自分を含め腹立たしい。
「福島原発事故検証委員会」の調査報告書の内容についてだ。官邸の初動体制がまるでなっていない。右往左往してなにも出来ず、原子力安全委員会の班目委員長は、首相のまえではなにもいえなかったと、自らの発言を否定した。不審を抱いた首相はつぎつぎと素人の参与を任命し、官邸の地下にこもって怒鳴り散らしていた。ガクサイの運営でももう少しましな対応をとる。東電から上がってくる情報が不足しているのでヘリで現場へ行くと云いだし、代替バッテリーの大きさ、寸法、重さをメールで聞き、ヘリで運べるかと、近所のボランティアのような事を云いだす。そこには事故対応の指揮官として冷静さも沈着さも全くなく、すべてが場当たり的で放射能拡散に対するスピーディの存在も官邸内では誰も知らなかったというお粗末ぶりだった。口裏を合わせて、嘘の発表を繰り返した当時の枝野官房長官も万死に値する。
自民党の溝手幹事長は「後進国なら菅首相は死刑」と切り捨てたが、とにかく民主党に政治家はいない。一年たってやうやく出来た復興庁にもあきれたが、東北をいちばんよく知っている小沢一郎に復興をまかせれば、こんなだらしのないことにはならなかったろう。民主党で政治ができる政治家は、良くも悪くも小沢しかいないのではないかと思う。
いま、ここに「松下政経塾が日本をダメにした」という本がある。演説は上手だが、議論に弱い。志はそこそこだが、実行力はゼロ、薄っぺらな政治エリートにこの国をまかせられるのか。はやく促成栽培の政治家から脱却しないと大変なことになる。
「AIJ投資顧問2000億円企業年金消えた」「エルピーダ政投銀461億円回収不能」「社債債務不履行1350億円」「パナソニック7800億赤字見通し」すでにこの国は大変なことになっている。
あまりにひどい絶望の政治家たち
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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