「実は来週休ませてもらいます。」「どうしたの?」
「マルセーユまで、嫁を迎いにいきます。」「えっ、フランス娘?」
「いや、日本人です。船で来るんです。」
1960年春のことだった。2年前から受けついだその店は、セーヌ左岸のアンバリッドを望む広い道沿いにあった。「たから」大きな板に墨坤鮮やかに書かれ、ウインドウには役者凧がひとつ飾られていた。
縁あって日本からきた料理人の彼は、まだフランス語が不自由だったので、予約とキャツシャーとフロアの総てを一人のフランス娘にまかせていたのだが、日々キャッシャーを閉めてみると、どうもオカシイ…造った料理の覚えとキャツシャーのお金が合わない。
悩んだ彼は、そうだ嫁を日本から連れてきてキャッシヤーをまかせよう、そう思い至った彼は、前年故郷の川崎に帰って嫁探しをしてきた。その新妻が船で来週マルセーユに着く、という。
風の強かったその日、彼は帰ってきた。傷だらけのスクーター・ベスパの後に嫁をのせ、彼女は彼の背中にしがみつき、埃だらけの花嫁になってパリに来た。
偶々パリに来ていた森繁久弥さんを交え、5人の日本人が「たから」の前に並び、万歳三唱で若い二人を迎えた。はるばる日本から来た素朴なお嫁さんの勇気に拍手した。一年前パリに嫁入りすることが決まってから、フランス語を勉強してきたので、明日からでもはたらけるという、その勇気に脱帽した。
それからの二人の努力は筆舌に尽くしがたいが、2013年のパリで、代替わりしても一番古い日本料理店として立派に看板を上げているのを見ると、感無量の想いだ。
今パリでいちばん美しく輝いている魅力的な「MIYUKIちゃん」と出会ったのも「たから」だつた。
あの頃の「たから」
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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