あす死ぬる いのちも知らず 秋刀魚焼く

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 中国、韓国の漁船やら台湾の大型船が来て根こそぎ獲っていってしまうので、今年は秋刀魚が期待できないと伝えられ、がっかりしていたところ、突然に根室、花咲港で秋刀魚の豊漁が知らされ、とにかく嬉しい。
 港の保冷庫が満杯でどうにもならず、花咲の街ではスーパーでも魚やでも、秋刀魚を無料で配って突然の秋刀魚景気に湧いている。
 秋刀魚は冬から春にかけて餌を求めて北上し、秋になると栄養を蓄えたっぷりと太って産卵のため南下する。その通り道が北海道道東沖なので、ここで水揚げされる秋刀魚は日本一といわれている。
 この日本一の秋刀魚…高鮮度生サンマが通販で手にはいる有難い時代だ。刺身にも塩焼きにもなるピカピカの生サンマ、眼も白くくちばしの先は黄色の獲れ立て1.9㎏、13尾から14尾が通常6.400円のところ、大漁サービス4.780円で、クロネコ便で送られてくる。
 サンマに含まれるエイコサペンタエン酸というのが脳梗塞、心筋梗塞の予防に効くし、さらにドコサヘキサエン酸なる含有物が脳の回転をよくしてくれるというので、相方にサンマの夕食をせっつぐもなかなかに実現しない。
 妄想だけが目黒のサンマになってすこし悲しい日々なのだ。
 「煙また 味のひとつや 初秋刀魚」(狩行)
 七輪をパタパタしてのサンマの煙たさも忘れがたい。
 近頃では若い女性がテレビで、フライパンなら煙も出ないで美味しく焼けます、等ととんでもない料理自慢をしている。煙がなくてなんの秋刀魚ぞ、といいたいが、都会のマンション暮らしでは煙を楽しむこともできないのだろう。
 秋刀魚の煙も知らずになった料理人には、鬼おろしの大根の美味さも判るまい。 結局パリの日本人向け短期講習で勉強した中途半端なフレンチしかできないのだ。
 剛力彩芽のIT狂いに怒った明石家さんまも、彼女からもらったプレゼントをすべて投げ捨てたと、発言していた。
 「さんま苦いか塩っぱいか、そが上に熱き涙をしたたらせ、さんまを食うは いづこの里のならひぞや」  別れも告げず去っていった剛力の後姿にさんまは涙したのだろう。
 「あす死ぬる いのちも知らず 秋刀魚焼く」(鷹女) 
      焼くときにサンマの脂に引火することがあるので、火事にご注意を(消防庁)、おおきなお世話である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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