四方の景色が真っ白になると、はるか彼方から神楽唄が聴こえてくる。
伊那谷を下って南アルプスを超えると、遠山の里に至る。遠山郷は南アルプスの山影にひっそりと生き続けている限界集落でもある。人々は遠山川に沿ったわずかばかりの大地を耕やして、日々の糧を得ている。
この10にも満たない集落に祀りつたえられているのが、霜月まつりである。信州の秘境遠山郷に足を運ばなければ、出会うことのない貴重な祈りなのだ。
かってこの地を支配していた遠山氏のみ霊をまつり、厳寒のこの季節に太陽の復活を願うまつりでもある。
祀り場の中央にかまどを築き、大きな釜に湯を沸かし、その湯のなかに八百万の神々を招き入れるところから祭りははじまる。
日本中のあちこちに居ます神の名を読み上げ、招き入れるだけでも2時間ばかりの時を必要とする。神々は祀り場のそばの大きな木に結わいつけられた大紙垂をたよりに集まってくる。
神々のいます湯釜を囲んで、湯立ての舞が始まる。それから御来光の翌朝まで魂の舞が、限りなく続くのだ。
目の前の遠山川では面舞に登場する若者たちが、零下の流れに身を清めている。
「寒い…眠い…煙い…」といわれる遠山のまつりには、日本のまつりの原型があるといわれ、神々と人々の関わりのかたちがしっかりと伝えられている。
やがてこの郷のしたは、リニアモーターカーの通路となり、遠山の祖霊もびっくりして逃げ出すかもしれない。がそれまでは、いやいつまでも、遠山の郷には神楽唄が流れて欲しい、と願っている。
「霜月まつり」よ永遠に
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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