スーパーの売り出しからひな祭りまで、なんでもかんでも総てイベント扱いする近頃の風潮はとても不愉快だ。イベントという言葉の響きはとても軽く、マラソンやハイキング、シヨツピングセンターの大売り出しなら、それもありかと納得する。
歴史的にこの国の精神風土に寄り添って伝えられてきた習俗にたいし、イベントとよぶのは相応しくない。無知な子供たちは、サッカーの応援イベントと同列に認識し、結果君が代も歌えない、日の丸にも敬意を払わない無国籍の変な日本人を作ってしまう。
世界中探しても見当たらない女の子のためのゆかしい雛まつりにしても、きちんとやらない親がとてもふえているという。娘の無事な生育を祈り、家に降りかかる災難を祓うためのまつりなのだから、なぜきちんとやらないのか不思議である。転勤や就学の都合で、絶えず引っ越しをしたり、家を変わる親たちにとっては、産土の思想はないだろうし、道祖神も意味をもたない。つまり基本的にジプシーやプータローの精神と同じなのだ。暮らしのアイデンティティは時の都合と金銭だけの情けない社会になりつつある。
軽井沢の南、北相木村には家難祓(かなんばれ)とよぶ雛のまつりがある。正月を迎えた頃、村の老人たちが学校に集まる。子供たちに一対の雛とそれを載せて川に流すサンダワラの作り方を教える。二月の末には立派な紙雛たちが揃ってまつりの日を待つ。3月3日の朝、それぞれの願いを小さな短冊に書いてサンダワラに添える。「おばあちゃんの病気がなおりますように」「僕の朝寝坊が飛んでけー」「ハウスがこわれませんように」多分去年の台風被害が子供たちの小さな心を痛めていたのだろう。祈りと雛を載せたサンダワラをそれぞれに相木川に流し、その後みんなで作ったお汁粉を河原で戴いてまつりを終える。八ヶ岳からの冷たい風が頬をなで、春はもうそこまで来ている。
「雛まつり」はイベントではない。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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