春一番が吹くと恋しくなる。
向島「長命寺のさくらもち」桜餅である。
浅草から吾妻橋を渡り、桜の木のしたを左へたどると、やがて土手沿いに桜餅やがある。
長命寺の門番・山本新六によって始められた元祖長命寺のさくら餅だ。
六本木にいた頃は、仲間とクルマを連らね、山本やの赤毛氈の縁台で、さくらもちのティタイムを
楽しみに隅田堤をめざした。
いまでは有名になりすぎて花見客であふれるが、もとをたどれば八代将軍吉宗の命によって植えられた隅田の桜堤だ。そのさくらの葉から生まれたのが桜餅だから、将軍吉宗の功績は大きい。
芝居小屋では、先月襲名披露で評判を呼んだ松本幸四郎一世が江戸町衆の人気を集め、助六でお馴染みの河東節が流行っていた。いなせな江戸町火消が生まれたのも、桜もち誕生と前後している。
享保年間というのは、江戸の都市機能が完成し、ようやく爛熟期に入ろうとしていたそんな時代だったのだろう。
明治21年には、正岡子規がこの山本やの二階に下宿し、残したうたがある。
”花の香を若葉にこめて かぐわしき 桜の餅や つとにせよ”
桜もちを包んでいる塩ずけの葉は食べるべきか、残すべきか、とときに言い争いになるが、その香りとともに食べるべきという人が多い。遠く奈良時代歯磨き粉のない時代には、塩ずけの桜の葉は口臭予防につかわれていたという。
帰途、素朴な竹かごにはいった「長命寺のさくらもち」をもとめ、近所に届けると、なによりの春がきたと喜ばれた。
「長命寺の桜もち」が恋しい
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す