「都をどり」おたの申します。

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 二月になると、次々と番付が届けられる。恐らく100年以上もデザインの変わらない祇園甲部都をどりのご案内である。
 星野兄上様、星野御父上様、星野御夫妻様、星野御旦那様、表の書き様はそれぞれの館により、お姐さん芸妓により、また本人の意識によりいろいろと異なるが、みな墨の筆文字でしっかりと自署されて届けられる。
 五つ折の番付の表紙には第百三十九回都をどり・平成二十三年四月一日より四月三十日まで、十二時半開演四回、於祇園甲部歌舞練場とある。開くとまず芸妓・舞妓すべての出番表である。一番二番三番と三つに分れた六組すべてのキャストが判る。東をどり子西をどり子、そして中挿(なかばさみ)と呼ばれている別をどりのキャスト、囃子、長唄、浄瑠璃、三味線までの一覧、ご贔屓の芸舞妓はどの景でなにを舞っているか、オール・アバウト・キャストなのだ。裏には「春花京都名所尽」とあり、第一景から第八景までの構成、第一景は御所の広間に因んだ銀襖での総踊り、第二景は今年の恵方、西本願寺の飛雲閣を背景に、第三景は伏見稲荷の御田植祭、そして上賀茂太田神社の杜若をへて、第五景は須磨の浦の松風、村雨姉妹と在原行平の悲恋となり、秋の紅葉狩は東本願寺、雪の京都は圓通寺からの比叡遠望、そして桜のフィナーレは、法然上人800年大遠忌に沸く東山知恩院、まさに世界に名をとどろかしているジャパニーズ・チェリー・ダンスなのだ。更に一日から三十日までの点茶の芸妓さんとひかえの舞妓さんの名前が記されている。
 この番付をたよりに、さて今年は誰の舞を楽しもうか、お茶は誰の点前がいいかと思案する初春の楽しみになっている。都をどりは京都の顔であり日本の顔、なにしろ世界中どこを探しても140年続いているトラディショナルなレビュウはないのだから。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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