「近所のひと」に限らず「近所の」というキーワードには色々の意味があった。
「近所だから」といえば、良く知っているし安心よ、という響きがあった。だから日曜日は、近所のオネエさんに遊んでもらった。オネエサンの家に遊びに行ったこともあれば、浅草やとげ抜き地蔵につれていってもらつたこともある。 オネエさんはとても優しくて、美しかった。
お出掛けで何日か留守をするときは、オネエさんが留守番に来てくれた。いまにして思えば、オネエさんはひとりでお留守番をしてくれたのだから、怖く無かったのだろうか。
お赤飯を炊けばご近所に配ったし、ご近所からの季節の到来ものもいろいろあった。近所のオニイさんが受験だというときは、旅先のやしろで合格祈願の絵馬を奉納し、お札を添えてお土産をとどけた。
近所のオニイさんが出征するときは、近所のオネエさん皆で千人針を作り、近所のみんなで幟をもち、出征軍人を送る唄を歌って、駅まで見送った。だから前線からのニュースを新聞で読むときは、一喜一憂してオニイさんの無事を祈った。
近所は信頼のきずなであり、安心のキーワードだった。
いま近所は地域コミュニティなどという耳障りのいい舶来語にとって代られたが、その意味するものは全く異なってしまった。
近所のオネェサンに誘われても決して誘いに乗ってはいけない。うっかり心を許すと殺されるかもしれない。特にインテリの親が子供の自主性を重んじて、一人暮らしなど許しているご近所はもっとも危険なのだ。 近所のオニイさんにも逮捕状がでたと、新聞にある。
戦後の個人主義、キリスト教的なライフスタイルは、ご近所から安心信頼を追放し、危険な犯罪者を育てた。
「近所のひと」
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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