ニースのプロムナード・デ・サングレ、通称「英国人の散歩道」なかには「女王殿下の散歩道」と呼ぶ人もいる、この道は砂浜から4.5メートル石垣を積んだ上を走っているので、道を歩く人から死角になっているすぐ下のスペースはヌーディストが、生まれたままの姿で昼寝していたり、本を読んだり、日光浴をしている。その上の道で惨劇が起こった。84人が死亡、150人余りが傷を負ったとある。
隣のカンヌと違って普段ニースは静かなリゾートである。筆者がニースの劇場でKIMONOショーを演出してから30年が経つ。アフター・パーティーは「英国人の散歩道」の中程にある伝統的ホテル・ネグレスコだった。
そこのクラシツクなホールで、ニース市長をはじめコート・ダジュールのセレブなマダムや文化人たちの歓待をうけた。このあたりは普段はそうしたクラスの人しか歩いていない。市民が山から降りてくる革命記念日の花火の混雑を狙うなど、犯人はこの地を知り尽くした狂信者ではなかろうか。
ニースは観光地というよりは保養地であつて、見るべきものも、海岸線を見下ろすキャッスル・ヒル、旧市街、英国人の散歩道、そしてシャガールの美術館ぐらいしかない。
このあたりには昔から英国貴族の別荘が多かった。友人の英国貴族もニースを一望するシャトーを保有していた。シャトーのエントランスは、ピカソにオーダーして作らせた陶板が、何十枚も床を彩っていた。世界一美しいといわれたロスチャイルド家の別荘はうすいピンクの大理石で作られた瀟洒なベルエポック風だった。
ロスチャイルド夫人は、コートダジュールでいちばんケチなマダムと噂されていたが、そのケチな大富豪から
もらつた金のネックレスがこれなのよ、とはしゃいでいた友人が懐かしい。
それにしてもこの世界的なテロ騒ぎ、いつになったら収まるのだろうか。列強の政治家たちにその能力がなければ、あと頼れるのはローマ法王しかいない。
「英国人の散歩道」はヌーディストの浜
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プロフィール

星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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