「老い」を商売のタネにするな

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 思い出の昔ヌードに始まり、今風ギャルのおっぱい写真に終わる。
 中味は病気のはなしと、死ぬ前にやっておくことの、お節介な記事ばかり。近頃の男性向け週刊誌の構成である。造っている編集スタッフに恥ずかしさがないというところが、最近の出版社のスバラシイところだ。
 それでもちょっぴり気がさすのか、奈良興福寺の坊さんが説く「特別紙上説法」などというページが取って付けたように存在する。読者に詠ませたいというより、自分自身に読みきかせたいのだろう。
 アンチ・エイジングという言葉がはやっている。確かに若さはすばらしいのですが、人間に限らず生き物はすべて日々歳をとり、老いく存在。
 それ故、アンチ・エイジングなどという呼びかけは自然の摂理に反している。
 「老い」には昔は成熟という意味がこめられていたが、最近では老いを「若さの喪失」ととらえる風潮がある。商業主義の犠牲で、発毛剤の宣伝にやっきになったり、高いカツラをうりまくったり、シワ伸ばしの高級クリームでにっこりしたり、朝から尿漏れパンツのコマーシャルが流れ、うんざりする。寄ってたかって「老い」を商売の対象に仕立てあげている。老いたる人間にこんな失礼なやり方はない。
 坊主の説法を読んでいるそばで、テレビから湯水のごとく「老いの商売」が攻めてくる。
 不老長寿は確かに人間の夢だったけれど、医学の発展で長寿のほうだけが達成され、不老のほうはいっこうに解決されていない。長寿だけが達成され、不老がおいてけばりなので、アルツハイマーやら、高速道路の逆走が話題になるのだろう。
 人間をバランス良く生きさせない現代科学に責任があるのかもしれない。思考を失い記憶を喪失したとき、自然に肉体が消滅するといったリアルなバランスを科学が失っているのだ。
 坊さんも「死を忘れた生は傲慢です」といっている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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