「殿」と「姫」

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「殿」と「姫」
 18年も村長として君臨していた「殿」が訴えられた。
 相手は「姫」と呼ばれて、村長のペットであったろうと思われる村の女性職員。役場のなかで、「殿」と「姫」と呼び合っていては、充分に関係を疑われて当然かもしれない。
 志村けんのバカ殿のなかで、優香は姫と呼ばれ、公私ともにその仲を疑われたが、二人とも否定せず笑い飛ばして、関係を続けた。
 村長の殿は、彼女にアパートの合鍵まで渡していたというから、愛人関係にあったことは誰の眼にも明らかだ。訴えた女性のほうにも何らかの思惑があったのだろう。結婚を約束したか、慰謝料の額の思惑違いか、それとも退職して二人で海外で暮らそう、という絵空事の約束を反故にしたか、東北宮城の田舎に突如発生した騒動はへたなコントより面白い。
 昭和のスケベ俳優と呼ばれた森繁久彌は、生前ボクは女との別れの達人だ、と称していた。別れ上手こそドンファンの資格だと豪語していた。別れのときには彼女の期待するものの倍の手当をすると解説していた。
 そもそも男女のなかは、人間のもっとも私領分に属するもので、社会的な法律や訴訟に馴染まない。ヨーロッパではすでにその辺の倫理は確立しているが、20世紀以降、浅いアメリカ人の世界進出に伴って男女関係も訴訟の対象としてクローズアップされるようになった。
 人間としての未熟さが、こうした騒動を巻き起こすのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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