「暑いぞ! クマガヤ!」の全国制覇

by

in

「暑いぞ!クマガヤ」の全国制覇
 「暑いぞ!熊谷」と話題になったのも過去のおはなし。
 今年は全国的にクマガヤ状態であった。異常気象は常態気象となり、猛暑も酷暑も集中豪雨も当り前となって、川端康成がノーベル文学賞受賞記念講演で述べた「四季のある美しい日本」は、行方不明となってしまった。
 小学生の頃、この国は温帯地域にあるので、夏でも27.8度、30度以下にしかなりません。34度とか35度というのは赤道直下熱帯地域のことです、と教えられた。
 暑さは人間から思考力を奪うので、世界の政治は温帯地域の人々が多くリードします。なるほどと思っていた。南の人はよく踊ります。踊ることで考えることから脱して楽に楽しく生きていけます、と地理の先生が教えてくれた。
 あの頃、熱中症と言う言葉を聞いたことはなかった。暑さに負けたのは日射病だった。熱中するのは、勉強
とか、スポーツとか、模型つくりで、積極的な意味だつた。それがいつの間にか、ヤマイと結びついていやな
語感に変わった。クーラーが出来てから熱中症が増えたという情報にも違和感がある。
 夏の日の夕方、悪ガキどもの集合場所は「キレイなお姉さん」のいるひ弱な同級生の家だった。
 下町ではどこの家でも夕方になると、庭先にたらいを持ち出して水を張り、少し水が柔らかくなったら、行水をした。クーラーのない時代、暑い夏を乗り切るささやかな知恵だった。
 キレイなお姉さんも弟の友達のいる前で、恥ずかしがりもせず行水をしていた。ふくらみかけた蕾の乳房をみて悪ガキどもはドキドキと満足した。日射病の治療には行水がいちばんだった。
 行水が終わると、お母さんが西瓜を切ってくれた。その日によって西瓜のかたちは色々だつたが、西瓜はシヨートケーキより美味しかった。井戸水で冷やした西瓜には、日射病の薬がはいっていた。
 頭のうえでは風鈴がなって、涼を呼んでいた。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ