「昔は良かった」という病

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「昔は良かった」という病
 3人集まれば、必ず1人は「昔は良かった」という。
「昔は良かった」というのは、老人になった証しと言われているので、なるべくその言葉は口にしないように心がけている。が仕事の一線から引き、女房と孫だけが生きがいの人生ともなれば、「昔は良かった」と振りかえる友人の心情も理解できる。
 いきつけの喫茶店にある時、「昔ながらのナポリタン」という新メニューが登場した。少し太めのスパに甘いトマト味がしっかりとまとわりついた赤いスパゲティだ。量もいまどきのイタメシヤと異なり、たっぷりと盛られている。コジャレタ装飾のない、昭和の食堂のおもむきがある。トマトケチャップはあちこちに飛び、シャツやジャケットに赤い滲みを作るので、食べるときは細心の注意を要するのだが、そんな面倒さをこえて「昔ながらのスパゲティー」は人気を保っている。
 まま所要で六本木にでる。
 話も一段落しお茶でもとなったとき、昔仕事の打ち合わせに使った「レイノ」にいこうという相方、あの全盛期テレビ局のまわりにはいろいろな喫茶店があった。気難しいコーヒー自慢の店、美しいお姉さんのいる店、下り坂の役者の経営する店、いくら長居しても絶対に追い出されない店など、昔ながらの喫茶店はあらかた潰れてしまったが、何とか頑張っているレイノにいこうという相方も「昔は良かった」病の代表選手なのだ。
 当世のコジャレタ若者が相手だと、ラトリエ・ロブションのカウンターあたりで如何ですか、となる。刺激的な赤と黒のインテリアのなかで、感性は刺激されるが、知性が喚起されることはない。町はオシャレになり、カナ文字は圧倒的にふえたが、等身大の安らげる喫茶店はほとんど消えてしまった。
 やはり「昔は良かった」とつぶやきたくなる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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