漫画家の辛酸なめ子が週刊誌上で見もの聞きもの批評をしている。当をえた文章が多いのだが、583回の黒柳徹子編については、重大な過誤があるので指摘しておきたい。
もはや「徹子の部屋」に於ける黒柳は聖人レベルと賛美し、放送一万回の彼女のパワーと放送ウーマン賞やら勲三等瑞宝章に輝いた彼女の人徳を絶賛している。
これはメディアを通して撒き散らされる情報がいかにいい加減かということの証明でもある。
普通テレビに於けるインタビュー番組といえば、主役のインタビュアーによって半分以上話題が選択され、インタビュアー自身の言葉とリアクションで番組が成立する。
このことは阿川佐和子による「佐和子のあさ」などを見れば理解できることだが、彼女自身の言葉と、対話者との距離に、彼女の感性が生きてゐる。相手によって変化自在な対話術と、理解力の深さによってゲストの生活や個性、人生観を浮き彫りにしていく。
「佐和子のあさ」はまさに佐和子の能力によって作られている。
このことは番組制作上非常に重要なことで、インタービュアーの冠番組となる条件なのだ。
振り返って「徹子の部屋」を見れば、この番組を支えてきたのはスタッフ以外の何ものでない。
この番組のクルーになったら百年目、ゲストのリサーチから話題の選択、仮想問答まで120パーセントの準備をしなければ、番組は成立しない。 徹子自身に対話の技術がない。言葉の妙にたいするデリカシーがない。フリートークなどは夢のまた夢、といった現実がある。
こうした現実をまえに冠番組を制作しているのだから、ギャラに1万回をかけた厖大な謝金も半分はスタッフのものなのだ。長寿番組の秘訣はスタッフの我慢と犠牲によるものだ。
辛酸なめ子はミゴトにテレビの黒柳徹子に騙されている。
「徹子の部屋」に騙された辛酸なめ子
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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