「大歌舞伎」の幟はためく大田舎

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 松本の町にずらりと幟がはためいている。中古車センターの幟よりはずっとましだ。
「松本大歌舞伎」とある。歌舞伎を見たことのないあらかたの市民はころりと騙される。わが町に大歌舞伎がくる。この際大歌舞伎なるものをみて見よう。
興業元はとにかく客がきてくれなれれば採算がとれないので、なりふり構わず宣伝に奔走する。歌舞伎をみたことのない地方テレビの司会者たちが悪乗りする。新聞もフリーペーパーもみな「大歌舞伎」と声を上げる。
そもそも歌舞伎の興業にはいくつかの枠がある。
大名代がぞろりと揃った興行、これを「大歌舞伎」といっている。歌舞伎座などを舞台にしている。
 中堅若手を中心の興行は「若手歌舞伎」と看板をあげる。新橋演舞場などが舞台になる。
 時の人気者を中心にした座組では「花形歌舞伎」といっている。正月の浅草公会堂などにかかる。
 それ以外は「追善」であったり、「百年祭」だったり、「上方歌舞伎」だったり、「初春歌舞伎」だったり、それぞれの興行の内容が示される。
 亡き猿之助も随分考えた末、「スーパー歌舞伎」を名乗った。
 そうしたなかで亡き勘三郎は、とにかく宣伝できるならなんでもいい、といった乱暴な所があった。踊りだけで大歌舞伎を名乗ったり、粗末な小屋掛けでもダンビラを切った。
 そこで松本大歌舞伎だが、勘九郎、七之助、松也の若手3人組と、その他大勢は食えない新劇の役者たちだ。殺陣ひとつ満足にできないその他大勢だ。いちばんよく判っているのは、串田和美のはずだが彼自身が館長をつとめる松本では、とにかく客を集めるために「大歌舞伎」のホラを吹くしかないのだろう。昔田舎周りの小芝居に「中村団十郎大歌舞伎」などというありえないインチキ芝居があったが、21世紀の今堂々と「大歌舞伎」が登場してくるとは驚きだ。
「大歌舞伎」の幟に乗って、騙されている今時の信州人が哀れだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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