「千客万来」はマボロシとなるか

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「千客万来」はマボロシとなるか
 「千客万来」が危機を迎えている。新しく出来る豊洲新市場の目玉企画だった。
 豊洲新市場は50年先を考えた首都圏の基幹市場になる予定だ。かずかずの反対を押し切り、土壌汚染の疑いも晴れないうちから、東京都はなかば強引に計画を推し進めてきた。
 築地の魚河岸が老朽化し手狭になってどうしようもない、というのが都の言い分だが、業者は折角築地が市民権をえて評判も上々の今、なんで高い金をかけて豊洲に移るの、という気分なのだ。その上、業者の負担分が高く、100軒ないがいの店は閉まるだろうと言われている。
 その豊洲の売り物が、水産卸、水産仲卸、青果とともにふたつの付帯設備「千客万来」があった。これにより素人の集客をはかり、築地の場外市場以上の効果が期待できると喧伝されてきた。
 ふたつの「千客万来」には、大和ハウスとすし三昧の喜代村が手を上げ、場外にあるような専門店、飲食店、調理器具センター、温浴施設などを総合的に立ち上げ、千客万来を目指して、着々とプランを進めていた。
 ところがここへ来て、業者の一部から道路計画が不完全と「千客万来」について反対の声がでてきた。
 環状2号線へのアクセス、晴海通りへのアクセス、も充分でないのに、都道補助315号線を千客万来へのシロウトに使わせたら業務に支障をきたし、市場機能が死ぬというのだ。
 つまり道路計画がむちゃくちゃで、豊洲新市場は機能不全だというのだ。
 さらに東京都は、来年3月で終わる予定だった大江戸温泉物語とさらに契約延長した。
 これでは喜代村も大和ハウスも撤退せざるをえない。喜代村のオヤジは涙を流して記者会見をした。
 「千客万来」はマボロシの夢と消えるかもしれない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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