「令和」の時代始まる

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 ようやく新しい元号がきまった。
メディアはこの一週間、ああでもない、こうでもないと無意味な情報を垂れ流して商売に利用した。普段は左翼的な発言をつづけるテレビも、お笑いを集めて元号の候補をださせたり、大化以来の元号をパネルにして文字クイズをしたり、なかには新元号の商品化にはなにがいいかと小商いのアイディアごっこをしたり、視聴者には情報化時代の商品とはこういうものなのだと、納得させたり、あきれられたりの一か月だった。
 ある番組の有識者は、大化以来の元号をみて「こうしてみると時代がわかって面白いなあ」と感興を示していたが、筆者の小学生時代の教室には、神話時代そして神武以来、大化を経て明治、大正、昭和までの歴代天皇とその時代の出来事が、はば60cm長さ8mほどの帯状のいんさつぶつが天井に沿ってグルリとはりめぐらされていた。
 常に歴史とともにあったので元号は丸暗記していたし、神話時代も平安時代も戦国時代も明治維新もすんなりと時空を超えて理解できた。
 そうした教育環境をぶち壊し、インターナショナルな人間は育ったのだろうか。片言の英語でハワイに遊びにいくプータローだけが増殖したような気がする。
 新しい元号「令和」はあらかたの評判をえている。
 なによりもラ行のレが接頭語にきたのがいい。ファション業界ではむかしから新ブランドを立ち上げる時には、ア行か、レ行を探す。ア行は並べたときに上位にくる確率が高い。ラ行はひびきがよく、お洒落な印象になる。ラ行の音はファッショナブルに聴こえる。
 意味はともかくマルチメディアの今、大変にふさわしいネーミングだと言えよう。画数もすくなくかきやすい。令和女子大学もできるだろうし、チョコレート・ブティック レイワも生まれるだろう。ラーメンや居酒屋にはあまり向かないレイワである。
 あとは令和の時代に相応しい国家たりうるか、皇室たりうるか、そこが問題だ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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