地上波のテレビでは、唯一「プレバト」を見る。
夏井先生の芸人に媚びない姿勢がいい。
俳句を学ぶには「プレバト」を見るに限る。大学時代の草田男先生以来のことである。
金秋戦決勝のお題は「歩行者信号」。一見無機質とも見えるこのテーマに対する芸人たちの作品が面白かった。
優勝 東国原英夫 信号の点滅は 稲妻への合図 Ж秋の始まりが凄い
第二位 藤本敏史 信号待つ 騎馬警官の 背のさやか Жニューヨークにて
第三位 横尾渉 天泣の プラチナ通り 檸檬の香 Ж天泣は天気雨で
第四位 中田喜子 横断の人波 秋光を放つ Ж即位の日の宮城前
第五位 千原ジュニア 台風や ぐぅわんぐぅわんと 信号機 Ж擬音のリアル
第六位 石田明 我だけを 停める信号 秋あかつき Ж我のみを、で
第七位 村上健志 廃校の名の信号機 秋の蝶 Ж名前だけ残った
第八位 梅沢冨美男 徒歩で行く 免許返納 秋の風 Ж免許返納はつきなみ
自信過剰の梅沢冨美男の悔しがること、俺が出なかったら視聴率は取れないぞ! と大時代の啖呵がなんとも古めかしく、すでに置いてけぼりをくらっている、地上波テレビの末期がみえない悲しい芸人が見えた。
「プレバト」しか見ない。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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