「ツルヤ」派? 「デリシア」派?

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「ツルヤ」派? 「デリシア」派? 「ツルヤ」派? 「デリシア」派?
 軽井沢のスーパー・マーケットといえば、30年前位から「ツルヤ」と決まっていた。
 その前には紀伊国屋もあったし、明治屋もあった。ジャスコが新興勢力として登場したこともあった。地元の小さなスーパーもいくつかあったが、みなサービス競争で敗れ去った。
 別荘族のお母さんたちは、夏の終わり都会へ帰るとき、ベンツの後に野菜をしこたま仕入れて、帰って行った。遊びにきた友人たちも、「ツルヤ」からお土産のジャムやらレタースやらを送っていた。
 地元の魚屋さんに発したツルヤは、経験的に魚の仕入れにすぐれ、地元のキノコ類などでも半端なく多品種を仕入れ他店の追随を許さなかった。が、例にもれずここ数年の急速な県内出店に伴い、ショップパワーに陰りが見えてきた。つまり商品構成がマンネリ化してきたのだ。利幅の取れる自社ブランドの商品がふえ、食品の味覚追及に甘さが目立ってきた。
 そこにこの春から東軽井沢に登場したのが「デリシア」である。
「デリシア」は松本を中心に中南信地方を地盤としてきたスーパーである。商品の構成が細やかで消費者のライフスタイルに寄り添った展示になっている。
 ツルヤのごとく大量に商品を置いておくのではなく、少量多品種できめ細かい。すでに食生活のスタイルが確立しているオバサンたちには、ツルヤで充分なのだが、まだ若い世代で食のスタイルが固定化していない人達にとっては、圧倒的にデリシアが親切なのだ。
 惣菜類や弁当などの種類も多く、共働きの夫婦にとっては重宝きわまりない。消費者のライフ・スタイルについて考えていることが如実にわかる。
 君は「ツルヤ」派? それとも「デリシア」派? 
 それによってライフ・スタイルの新旧がはっきりとわかる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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