いま世の中は、オリンピックで浮かれている。
私も20年のオリンピックに出ます、という恥しらずのアスリートから、なんでも経済効果に結びつけ、これで景気が良くなるという商業主義者まで、オリンピックならではの狂想曲になっている。
がその中で異論をとなえる三人の論客がいた。
その一人は大宅映子、「64年のオリンピックは敗戦後の貧しかった時代、世界からお客様を迎えられる国になったことをアピール出来た。いまあらゆる都市機能が集中し過ぎているこの東京でオリンピックを開催する意味があるだろうか。」
二人目は教育問題に詳しい精神科医の和田秀樹、「いまの日本にもっとも必要なのは、学力向上です。中韓に負けているいま、オリンビックに向けて更にスポーツ偏重を進めては、国が滅びます。テレビから知的文化人が消え、スホーツ選手ばかりになったら国民の知性はますます落ちていくでしょう。」
三人目は絵本作家の五味太郎、「IOC委員というのが怪しい。世襲の名誉職なんだろうが、どんな人間なのかさっぱり判らない。そこに皇族やら首相が出かけていってヘラヘラする。オモテナシなんて言って媚びる。日本の国体みたいに世界各国を順番に回ればいい。」
それぞれごもっともな意見だが、正論が届かないのが世の常、湾岸地区にあらゆる施設が集中し、いっときはインターナショナルな賑わいを作り出すだろう。が、オリンピックに付きまとう負の遺産も常識になっている。冬季五輪を開いた長野でも1兆6000億の県債残高を抱えた。その利払いと施設の維持費でアップアップの状態がつづいている。一局に集中したその利点が欠点となり、殺伐とした人間不在の街が出来上がらないことを祈るのみだ。
「オリンピックは不要」という三人の論客
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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