「君はぴあを見たか」決して「ぴあ」を読んだかとは誰も言わなかった。読む雑誌ではなく、探す雑誌として、39年前に中央大学の学生 矢内廣によってはじめられた映画、演劇、音楽の情報誌も、時代の波に押し流され、ついに休刊のはこびとなにった。
ある時期、デートのための情報誌として大変世話になった。今週のデートのため、来週のデートののために、何を見ようか。折しも、映画の分岐点に遭遇し、新聞に大きな広告をだす娯楽作品より、まちなかの小さな映画館で上映される実験作品を探しては、よく見歩いていた。そのためにはぴあの映画欄がとても役立った。セレクトされた写真には、キスマークの恋愛もの、ハイヒールのお洒落作品など、ちいさなマークがついていてそれをたよりに映画館に足をはこんだ。「初恋の来た道」も「山の郵便配達」もみな「ぴあ」のおかげだった。
小さな活字を探してページをたどるのは苦痛をともなったが、この行のさきに芸術の共感や、文化の喜びが待っているという光を信じていた。
及川正道さんのちょっとデフォルメされた表紙絵も大好きだった。知遇をえて、何回か絵を書いてもらったことがある。品川のアトリエを訪ね、主題となる人物のデッサンを話合っあったり、博覧会のテーマについて説明したり貴重な時間をさいていただいたが、一週間后には程よいデフォルメとアピールのあるタブローが描かれてきた。主題への愛情と、及川ワールドの主張が絶妙のバランスで画面を作っている。1975年以降1300点以上の表紙絵はギネス世界一の登録をはたしているが、及川さんにすべてを任した「ぴあ」というプロジェクトのふところの深さだったともいえる。
ハサミと糊でできたインデツクスだったが、インターネットへの架け橋として充分役割をはたした39年だった。若き日の乾杯を捧げたい。
「ぴあ」との別れ。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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