「ばびろん まつこ」の早すぎた一生

by

in

「ばびろん まつこ」の早すぎた一生
 「IT企業の美人広報」どこか胡散臭いインチキの匂いがする。かのホリエモンについていたのも美人広報といわれていた。
 今回の主役…「ばびろん まつこ」も美人広報だった。長崎で生まれ、若いときは評判の美しい御嬢さん、大学を出て就職した頃から都会に憧れ、通勤に赤いアルファロメオをとばすようになった。彼女の当時を知る職場の人たちは、あぁあの赤いスポーツ・カーの娘ね、働きぶりより赤いクルマの方が強烈だったようだ。
 田舎に我慢できず、やがて東京に出てきた彼女は流行のIT企業の門をたたいた。
 肩書きはかのDMM.comのマーケティング本部広報、ローラのCMで有名な元アダルトメーカーのDMMに席を置いた。業界では美人広報の「松永かなえ」、ネット社会では「ばびろん まつこ」を名乗った。
 「ばびろん まつこ」は、みずからを愛人稼業と称し、愛人になるには手段を択ばないことと発言していた。住まいは港区の高級マンション、お買いものは高級ブランドのまとめ買い、食事は高級料亭、海外旅行は香港ハワイの浜辺でポーズ、といったオバカなセレブ丸出し、叶姉妹も真っ青なこのハイパーセレブは、ネットのキラキラ系に秘かな人気を誇っていた。自撮り写真は、後姿の背中から、色白の谷間、組んだ腿からおまたの辺り、くびれ強調の水着姿はディオールの黒、…… 写真を見せられた田舎のお父さんは「……多分娘のかなえ だろうと思います」
 そこで止めておけばよかったのだが、26歳の「ばびろん まつこ」は、偽物のカルティエ・ブレスレットをネット・オークションに出した。そこで御用となった。
 セレブなハイパーサギシ26歳……「ばびろん まつこ」の一生は終わった。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ