「ぬき」と「まる」

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 突然、どじょうがスターになった。
 「ぬき」と「まる」と聞いてどじょうを思い浮かべる人は少ないかもしれないが、SKD松竹少女歌劇に通っていた身としては、さて今日の昼飯は「ぬき」にしようか、「まる」にしようか、想いをめぐらしたものだ。「ぬき」は骨ぬきの開き、「まる」はそのまんま、頭も小骨もまんまで味あう。いずれも浅い鉄鍋にどじょうを並べ、ネギをたっぷりと盛り、だし汁をかけて七輪でぐずぐずと煮る。甘辛い割下がどじょうの味をひきたててなかなかのものだ。
 浅草ではいずれもどじょうとは書かず「どぜう」と書く。駒形のどぜうやが、天明3年の江戸の大火にみまわれ、再建復興後から縁起をかついで「どぢゃう」の4文字から「どぜう」の3文字に改めたそうだ。
 合羽ばしの飯田屋は明治35年創業の下町情緒たっぷりの店、「親父の仕事はタレをとることと客の下足番」という家訓を守っていつもあるじは玄関のたたきにいる。人気のメニューは骨ヌキ鍋にどじょうの唐揚げ、冬のあいだはなまず鍋も人気のメニューになっている。
 一方、駒形のどぜうやは、江戸の風情がただよう大店だ。柳の下の大のれんをくぐり木戸を入ると、入れ込みの大広間に長板が何列にも引かれ、立ち込めるどぜうの湯気のなかでいただく。徳川11代将軍家斉公の治世1801年創業、埼玉からでてきた越後屋助七が初代というから古い。どぜうの蒲焼きや筏焼きなどもある。どぜうは小さいので、大きなくじらも出したら面白ろかろうと初代が工夫したクジラ料理も評判のメニューになっている。
 ビタミン、ミネラル、カルシュームが豊富で、夏バテによく聞き、強精にもいいというので、このあたりでどぜうを食し、吉原に乗り込んだというのも今は昔のものがたり、果たしてどぜう内閣は精力的に仕事をしてくれるかどうか見守りたい。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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