広島原爆投下の日、長崎原爆投下の日、沖縄戦敗北の日、ボッタム宣言受諾日本敗戦の日、この四つの日は天皇家にとってもっとも重要な日である。昭和天皇以来平成天皇、秋篠宮家においても「お慎みの日」として、私事を避け、静かに国家国民に対する贖罪の日として祈りを捧げてこられた。あの戦いで天皇陛下の御為にといって命を投げ出した何百万の国民に対する当然の御心だろう。
ところが平成22年の今年この祈りの日はあっさりと棄てられた。皇太子雅子妃殿下は伊豆のホテルでお友達とのパーテイに興じられた。外務省のオワダ・スクールからきた野村一成東宮大夫はなにをしていたのか。その日は天皇家にとって大切な祈りの日であるからといって御止する役割ではなかったか。かつて「愛子様の教育にはABCより、まずいろはを」と進言して雅子様の不興を買ったといわれている林田東宮大夫、美智子妃に対し宮中祭祀の教育をした甘露寺侍従長など立派な東宮職はいたのだが、いま東宮にいる外務省オワダ・スクールの官僚たちは唯々諾々と皇太子夫妻に媚びているだけのようにみえる。こうしたことから、国民の心が天皇家から離れ、天皇への無関心はやがて天皇はいらないという、この国の国体に対する危機を招く、ということに気がつかないのだろうか。戦争の実態を知らない横柄な外務省官僚をこれ以上東宮に近ずけてはならない。
「お慎みの日」を忘れた東宮。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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