「あの人はいま?」

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「あの人はいま?」
 「あの人はいま?」といったその後の人生を追っかける番組やら、記事が眼につく。
 高齢化社会を迎え、定年後への不安や関心が、他人の今への興味を抱かせるのだろう。そうした状況のなかで、人々の興味をひく第一の素材は芸能人、そして第二がスポーツ選手の「いま」である。
 芸能人の「いま」で、ホットなのは麻薬に手をだし、逮捕された、または刑期を終えてシャバにでてきた芸能人の「いま」だろう。
 麻薬でなければ、不倫のその後かもしれない。ゲス不倫が流行語になるくらいだから、広くゲスな関心は充満している。不倫した芸能人のうしろめたさは、広く一般人にも共有できる感情なので、いつまでたってもゴシップの女王として君臨している。
 岡本かの子、松井須磨子、柳原白蓮のむかしから、斎藤由貴、高岡早紀、ベツキーのちかごろまで、いつの時代もうしろめたかった。だからこそ燃える、燃え尽きたあとの「いま」に人々は興味を示すのだ。
 スポーツ選手の「いま」にも、人々は興味をもつ。選手寿命の短さからも、その後の「いま」は色々である。
 引退したスポーツ選手で、指導者や解説者になれるのはひとにぎりで、多くのスポーツ選手は裸一貫で社会に放り出される。野球選手がラーメン屋になったり、相撲力士のちゃんこやなどよく聞く話だ。
 がなかにはシンクロから「シルクドソレイユ」へ転身した北尾佳奈子の例もある。彼女はオーディションを受け、ゼロからサーカスのなかのシンクロで再スタートした。オリンピツクのメタルは再スタートのための鑑札になったのだ。
 最近では金メダルからテレビの芸人へというコースもあるが、それなりの美貌と頭の良さがなければ長続きしない。具志堅用高のように特殊ないじられ役として、芸能界の片隅に生きている人もいるが、これはきわめて稀な例である。
 活躍していた若いスポーツ選手に惚れ、女子アナを棄てて結婚した彼女が、いつの間にかむかしの職場に戻っている、などの例も数限りなくある。
 「あの人はいま?」の種は尽きない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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